きちんと

アリゾナに行ってきました、とMikoさんに言ったら、
「私は住んだことがあるのよ、アリゾナ」という言葉が返ってきました。
日系2世のMikoさん。
一緒にいた友人が「キャンプですか?」と聞くと、「そう、キャンプよ。」
私はすぐにピンとこなかったのですが、友人はわかっていたようです。
そう、キャンプって、テントをはってやるキャンプじゃなくて、
concentration camp。強制収容所のことです。

強制収容時で子ども時代を過ごし、カリフォルニアに戻ってきて、同じ日系人の旦那さんと結婚したMikoさんは、90才くらいでしょうか。
かわいらしいおかっぱのおばあちゃんです。

男の子を3人育てたMikoさん。毎日家の中は散らかっているし、大変だった、
という話をしているとき、彼女が
But I like きちんと。So I try to keep things きちんと。ね。Always。
とおっしゃったのです。

日系の人達と話をしていると、うまく英語におちない言葉や、英語にすることで
愛着が薄れてしまいそうなことばは、日本語のまま残っているのに気がつきます。
「帰米」や「ばあちゃん」「急須」などはその例だなぁと思っていたのですが、
きちんと にあたる英語がない、という感覚はおもしろいなぁと思いました。

それまで、私は「きちんと」をproperlyなどと訳していたのですが、
Mikoさんが「きちんと」と日本語で言うのを聞きながら、
本当の適訳はなんだろうと考えるようになりました。というか、考え続けています。

で、最近ちょっと思うのが、as expected  期待通りに が近いかなぁ、ということです。
きちんとやりなさい。
子どもにそういう時のきちんとは、「私が期待しているように」あるいは「学校や世間が期待しているレベルに」何かをすること、仕上げることを意味します。
きちんと学校に行くというのは、休まずに行くと言うよりは、遅刻しないで、つまり、
期待されている時間に到着することです。
朝、寄り道してて、学校についたら2時間目が半分終わっていた……なんていうのは、
きちんと学校に行ったことには恐らくならないですよね。

きちんと窓を拭くというのも、世間的に認められた程度にきれいにふけという話で、
私的にOKならOKというレベルはNG。

この反対の言葉は恐らく「適当に」で、「適当にやっておいて」というときは、
あなたがいいと思うレベルでよし、ということになります。

そう考えると、きちんとする、ということは、世間水準をクリアすることであり、
自分の気持ちはどうあれ、まわりの要求水準に合わせることになります。

何かをするときに、求められるレベルの基準が外にある。
もう少しいうと、レベルを決めるのが社会だったり世間だったりするわけです。

家の中が「きちんと」片付いている
ということは、
世間がなっとくするレベルで家が片付いている
つまり
人が来たときにどうぞ
と入れられる
っていうことなんではないかと思います。
人を入れて「恥ずかしくない」レベル=きちんと ではないでしょうか。

問題なのは、きちんとをクリアしていないことが
恥ずかしいことだっていうところじゃないかなぁと、個人的には思います。
もう少し踏み込んでいうなら、恥ずべき状態だという認識だということです。
要するに、
家が世間並みじゃないことは、当然恥ずかしいと思うべきことだ
っていう感覚。
いいじゃん、私の家なんだから。私のペースで私の暮らしたいようで。
そう思えるようになると、ずいぶん、気持ちが楽になるのでは、と思うのですが。

もうね、外部の物差しに振り回されるのはやめたいよね、そろそろ、と
思うのですが、日本人はの価値観は基本的に総体的な基準が多く、
なかなか、絶対的な基準や自分の中に基準を育てることが難しい……
感じがします。
それは、罪悪感で書いたことにも共通します。

どうやって、自分の中の基準を作っていけばいいか。
考える日々です。











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