Memento Mori 死を忘るなかれ

これはここしばらく考えていることの備忘録。

コロナで私たちが、少なくとも私がつきつけられたのは、これにつきる。
死は、想像以上にすぐそばにある。

高度経済成長以降、日本はスーパークリーンになり
除菌殺菌天国になり
寿命は延び、生活水準は上がり
ある意味、死は、日常から少しずつ蔭を潜めていった。

誰もがいつかは死ぬ
永遠に生きられることはない

そんなことは、あたりまえなのだけれど、
一方で、その「いつか」は遠い遠い未来のはずで
自分が来月にはもういないかもしれない
なんていうことは、ちょっと考えがたいのが
現在の私たちの日常……っだったんじゃないだろうか。

ところが、実はそんなことはなかった。
コロナにかかって重篤化すれば、死亡するまでの平均日数は18日だという
データをどこかで見たけれど
要は、生きていることは、死と隣り合わせなのだよ
ということを、肝に銘じて生きた方がいいよ
と、コロナを通していわれているような気がする。

Memento moriと私の中でリンクしているのは

Remember You are Dust and to Dust You Shall Return

と言う言葉。
忘れるな。お前は土から生まれ、土に戻る。
とでも訳せばいいでしょうか。
人間、いつかは土に返るのだ、と。
なんとなく、目先をごまかして、そんなことは遙か先のことだから
忘れていても大丈夫だと思いたいのが私たち。
だから、日常から死がどんどん離れていく。

でもさ、結局は逃げ切れないんだよ。
ちゃんと、直視した方がいいよ。
死はその角まがったところにあるんだよ。
と、コロナを通していわれているのかなぁと思う今日この頃。

ちなみに、この

Remember You are Dust and to Dust You Shall Return
というのは、T. S. Eliot  の詩にもある灰の水曜日Ash Wednesdayのテーマ。

灰の水曜日は毎年かわるのですが、今年は2月26日でした。
コロナが次第に厳しさを増し、


という時期でした。
そこからはや5ヶ月。
いろいろ、考え方を変えなければいけない時期に来ているのかなぁと思う今日この頃。
死ぬのはいやだけれど
Memento mori
という意識の中で生きることで、日々の生活が変わってくるところもあるのかなぁ
と思ったりはしています。

ちょうどこのAsh Wednesday 前後から、私は作物を育てる練習を始めた。
長ネギだったり、小松菜だったり。
今はキュウリ。そして全く収穫できずにいるミョウガ。
種をとって翌年植えたいと、野口種苗サンで在来種を買って育てているのだけれど
種の収穫は想像以上に難しかった。
天気が悪くて、完熟を待っている間に虫に全部食べられてしまったり
雨にたたられている内に、腐ってしまったり。
種がとれないことは、昔なら死に直結しただろう。

ほぼ鎖国状態の今の日本だって、ここから食糧危機にならないとも限らない。
病気だけでなく、事故だけでなく、死って本当に身近にある。
いや、むしろ、お店に行けば食べるものがあると信じられる生活って
奇跡以外の何ものでもない。

それを意識しながら、どう暮らしを楽しむか。
そう思うと、時間の使い方も大分変わってくるような。

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