21世紀が始まったなぁ と思うのです

何を今頃
と言われそうだけれど
この頃、つくづくそう思うのです。
20世紀から21世紀への移行の時期がそろそろ終わって、
21世紀が本格的に始動していくような……そんな感じ。

1900年と言えばパリ万博があって
そして、第二回目の近代オリンピックが同時開催されている。
その3年後にはライト兄弟が、人類初の動力飛行に成功。
このあたりが20世紀の人達の生活を大きく方向付けていったんだろうなぁと思う。

そう思うと、1世紀続いて、商業主義の頂点に達してしまったような
オリンピックの開催が大きく揺らいでいるのは象徴的だなぁと思うし、
ライト兄弟が想像もしなかったであろうくらいに大型の飛行機が
世界中を飛び回った飛行機事情が、今、COVID-19で大きく状況を変えつつ
あることも、これまた、20世紀の終焉だなぁという気がしてしまう。

Wikiによると、19世紀の終わりに発明されたブラウン管。
日本の電気工学高柳健次郎が、
受像に熱陰極
ブラウン管を用いた映像の遠隔伝送実験に成功したのが
1926年だそう。
インターネットの台頭で、その役割が急速に失われつつあるTVも、
やがて20世紀の遺物になるのかなぁと思ったり。

そして、オリンピックや万博を始めとする様々なイベントをショウ化し、
企業と組んで大量の人を動員するというのが、多分、
20世紀最大の特徴じゃないのかなぁと個人的には思う。
そういうものも、次第に成りをひそめていくのかなぁと思ったりする。


ウッドストックから始まった、大きな大きな音響で、豆粒のような人達の、
スピーカーを通した声を聞き、その場の雰囲気を楽しむコンサート。
技術と電気の力を借りて、声も、楽器も、人の姿も、目一杯拡大、拡張して、
知らない人同士が、その場の雰囲気を楽しむイベント。
今後、こういうものが少しずつ変わっていくのかもしれないなぁと思ったりします。

そういえば、今回アメリカの知人と話をしていて印象的だったのが、
日本ではテレワークがなかなかうまくいかないらしいね、という話。
アメリカは職場によっては、かなり切り替えが進んでいるらしい。
イギリスのエコノミストもオフィスの終焉という特集を組んでいる。

そう思うと、今の日本、70年代あたりから変わらなさすぎ。
ITの遅れだけではない。日本は、高度経済成長の時の成功体験にしがみつき
俺らは民度が高いからと、あぐらをかき、
日本の美意識、職人気質
を驚くほど高く評価し、
深く井の中に沈んでしまったのかなぁ。

とあれこれ思いながら、すごす日々。

何が始まっていくのか、21世紀。
感染症や災害の増加を考えると、一つ必要なのは、
基本的な生活知識の普及かなぁと思います。
便利になれすぎてしまった私たちが、見直さなくちゃならないのは、
ベーシックなものを使い回して暮らせる技術と知識かなぁ、と。

写真は、父の書斎から発掘した、北極通過記念証。
ちょうど50年前、父が出張のときにJALが発行してくれたもよう。











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