コロナ禍下の暮らしメモ2: テレビがないということ

テレビがないというと、とても驚かれるのですが、
我が家でテレビを撤去してから、
10年近くなるかもしれません。
家にテレビがなくて、高校生の娘がお友だちの連ドラの話題についていけない
と嘆いたり、
緊急事態の時に何も情報が来なくて困るわよ、と母に脅かされたり
いろいろありましたが、
とりあえず、テレビがなくても、あまり不自由は感じていません。

そして、今回、このコロナ禍でも、テレビがなくて特に困ることはありません。
必要な記者会見は、ネットでも流れてきますし、
区からの緊急のお知らせなどはツイッターで入ってきます。
区議さんの何人かをフォローしているから、公共機関に関する情報も
入ってきます。

ちなみに去年の台風の時は、状況の確認のために、時々
NHK Worldを見ていました。緊急時は、日本語のニュースに
アナウンサーが英語をかぶせて放送するので、文字情報等は
全て日本語で出ます。それで十分でした。

今回、友人のFBを見ていて気がついたのは、
テレビがないのは、案外精神衛生上もよいのかもしれない、ということです。
文字媒体の情報中心の生活をしているウィークデイはよかったけど、
週末家にいて、テレビを見ていたら、だんだんコロナが不安になってきた
と友人は書いていました。

私は仕事柄、そして、この時期フリーランスのご多分に漏れず
ほとんど仕事がなくなってしまったので、家にずっといます。
が、テレビがないおかげか、あまり情報にあおられることがないような
気がします。

ヨーロッパにいた家族も複数いますし、友人達も欧米にいるので
情報が入ってこないわけではありません。
ニュースも新聞もそれなりに読んでいます。
でも、多分、友人がいうように、文字で自分で考えながら
情報を処理するのと、これでもかと音と視角に訴えられるのは
大分違うのかもしれませんね。

ここしばらくは家にいる家族で、そろって夕飯。
音楽をかけて、おしゃべりしながら。
静かなものです。
話題は、感染の話だったり、イタリアのホストファミリーの状況だったり
決して楽しい話ばかりではありませんが。
それでも、穏やかにご飯を食べられるのは何よりです。

コロナに疲れたら、ちょっと、テレビを消してみるのはどうでしょう?
1日消していると、ネットはあっても、意外に心穏やかな1日が
過ごせるのではと思います。

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